翻訳と辞書
Words near each other
・ 元晟溱
・ 元景仲
・ 元景安
・ 元景山
・ 元景略
・ 元景隆
・ 元智大学
・ 元暁
・ 元暉
・ 元暉 (北魏)
元暉 (隋)
・ 元暉業
・ 元暦
・ 元暦2年
・ 元暦元年
・ 元暦地震
・ 元暦大地震
・ 元暹
・ 元曄
・ 元曲


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

元暉 (隋) : ウィキペディア日本語版
元暉 (隋)[げん き]
元暉(げん き、生没年不詳)は、西魏からにかけての官僚政治家は叔平。本貫河南洛陽県。元琛の孫。
== 経歴 ==
尚書左僕射の元翌の子として生まれた。学問を好み書記を得意として、若くして長安城下に美名が聞こえた。宇文泰に礼遇され、宇文泰の諸子といつも同席して、友情を結んだ。弱冠にして、相府中兵参軍となり、まもなく武伯下大夫に転じた。突厥への使者に立ち、可汗に利害を説いて、通交を実現させた。まもなく儀同三司・賓部下大夫の位を受けた。保定初年、大冢宰宇文護に召されて長史となり、弁才を買われて崔睦とともに北斉への使者に立ち、和平交渉にあたった。振威中大夫に転じた。武帝が突厥から阿史那皇后を迎えるにあたって、元暉は使者をつとめた。開府儀同三司の位を加えられ、司憲大夫に転じた。北斉が平定されると、河北の安撫にあたり、義寧子に封ぜられた。
580年楊堅北周の政権を掌握すると、元暉は上開府の位を加えられ、爵位は公に進んだ。581年、隋が建国されると、都官尚書に任ぜられ、太僕卿を兼ねた。杜陽水を引いて三畤原を灌漑し、数千頃の農地を潤した。582年、太僕卿のまま左武候将軍に転じた。まもなく兵部尚書となり、運河の労役を監督した。事件に連座して免官された。しばらくして魏州刺史に任じられ、善政で知られた。在任すること数年、病のため職を去った。1年あまりして、長安で死去した。享年は60。は元といった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「元暉 (隋)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.